この10年ほどの間に、「詐欺」というのが、非常に身近で見聞するようになった印象がある。
というのも、子どもの頃は、「詐欺」というのは、そこまでポピュラー(?)な犯罪ではなかったように記憶しているからだ。
自分の場合、「クロサギ」というヒットマンガが大好きで、繰返し読み続けてきた名作と位置付けているが、「クロサギ」はむしろ、「現代の状況に対する予言的作品」として、捉えるべきだろうと今は思っている。
最近は「生成AI」を用いての詐欺ビジネスが大流行のようだ。
有名人のフェイク動画を投資広告に用いて一般ユーザーを誘導したり、偽の会議動画を作って巨額の金を振り込ませた、というのはつい近日のニュースで報道されていた。
「投資広告フェイク動画」に関しては、ホリエモンが「こんなんに引っ掛かる奴いるのか?」と疑問を呈していたら、想像以上に誘導される人間があまりに多く、彼自身が対策に動かざるを得なくなった、と語っていたのが興味深かった。
本人自身が関係なくとも、フェイクで勝手に利用されている有名人は、注意喚起を促さざるを得ない事態が生じているというのもまた苦々しくも興味深い現象と言わざるを得ない。
「日本人はマネーリテラシー、投資リテラシーが低い」と言われていて、近年は諸々の投資教育も盛んだ。
NISAや、日本経済の地盤沈下・上がらない給与に伴う将来不安から、「何らかの将来の備えを」という動きに駆り立てられている状況も、顕著に観察できる。
詐欺というのは、まさにこうした「不安」や「焦り」に狙いを定めたものということが出来る。
自分は近年の「詐欺」には思うところが二つある。
1日本人の「〇〇さんだから信用しておカネを預ける」というあり方が、詐欺の温床になっていること
2ある時点までは、通常のビジネスをやっていた業者がカネ詰まりから、その事業の終焉間際に、「詐欺」を企てる、という現象も観察されるようになったこと。
それ故に、「最初から『詐欺目的』のビジネスとして設立されたのか、それとも、当初は『通常の事業目的』だったのが、行き詰まり、あるいは『詐欺商法が効率が良い』と気づいた業者(詐欺犯)が詐欺に転じたのか、区別がつきにくくなる」という事象が、非常に多くなったこと。
また、そこには、政治・法制度側の事情も深く絡んできている。
法制度の複雑化や、短期間での制度改正が各領域で非常に増大しているが故に、市民には混乱を引き起こしやすく、それ故に、むしろ「行政が『詐欺のネタ』を提供している」という側面も否定できない。
今回は、タイトルに掲げた通り、1が主題となる。
2のほうも非常に興味が深いが、別の機会に順次扱っていきたい。
自分は最近、全然別ジャンルの本で、それについて考えることになった。
「〇〇さんだからこそ信用しました」などと言って、「安易に平気で」自分の虎の子の大金を預けてしまう人が、いかに多いか。
そこには、「ブランド信仰」も含まれる。
最近大流行(?)の、美容ビジネストラブルがそうだ。
見てくれの看板(ホームページや各施設)が立派だと、「早く変わりたい」という「焦り」が手伝って、中身の吟味を怠り、安易に大金を預けてしまう。
尤も、「中身の検証」というのは、専門的内容であればあるほど、検証は難しくなる。
すると余計に、「〇〇さんだからこそ信用」のドライブが働きやすくなる、という訳だ。
「自分の(生活・人生の一部と言っても過言ではない)カネ」なのに、「自分の目や頭で判断する」という動きが介在しないことには驚かざるを得ない。
が、自分自身に即していうと、結構人生のステップで(主に当然「失敗」)体験を含めた、様々な「学習」の機会があった、と振り返ることが出来る。
自分は別にマネーの専門家でも、マネー犯罪や法律の専門家でもない。
だから別に、そうしたものを見抜ける専門的な技術を持ち合わせている、という話では全然ない。
が、「良い意味での(?言わば『善意の』)懐疑」の念を働かせることが出来るし、もしその知識がなかったとしても、「落ち着いて調べる」だけの気持ちの準備や環境はある、と言える。
つまり、「あまりにもピュア(うぶ)過ぎる素人」が多すぎるし、その人たちは「〇〇さん(=彼らが『信用』出来ると考える特定個人や『資格を持った専門家・専門職』)が言っているから」と思い込んだら、それを検証せず(出来ず)、「すぐに丸のみ」してしまう、ということを指摘したいのだ。
また、詐欺の技術も高度化すると同時に、上述の通り「訳アリ」になり、元は普通の事業・仕事に従事していた人が「詐欺」に転じる場合もあるから、そうなると、素人でなくとも容易に見分けは付かなくなるのも無理ない面もあると言える。
言えるのは、現代には「〇〇さんだから信用」出来るという個人や専門家・専門職などあり得ない、という何の面白みもない「真実」だけだ。
が、「詐欺料になる」というリスク込みなら、そうした「信用」をしたければどうぞ、という話でしかない。
かくいう自分も、Web通販サイト上に「出品」している(ように見える)「商品」やその「業者」に引っ掛かる、ということを去年は特に何度も経験した(幸か不幸か高額被害はなかった、と思う。再検索・再注文で対応)から、ようやく気を付けるに至っている、という笑えない状況でもある。
楽天やAmazon上ですらそうなのだから、結局「ブランド信仰」をあげつらう自分も全く「同類」でしかない。
つまり「詐欺の隆盛」というのは、「便利すぎる世の中特有のリスク」という側面もあるのだ。
「何でも厳しく細かく、事前に吟味したり検証したりしない」からこそ、巧くそれにつけ込んだ詐欺も蔓延ることになる。
「詐欺師(詐欺業者)」に感心するのは、「コアな人気寄り」の商品を熟知したうえで、巧みに誘導画像を準備していることだ。
「詐欺師」は、間違いなく「人間心理の専門家」である。
自分の場合、(多少は経済的にもかもしれないが)時間的・心理的余裕があるから、こうして俯瞰して眺めることが可能だが、生活に追われたり、カネに追われているほど、それは不可能になる。
「不安」や「焦り」に駆られている人は、初めから「カモ」たらざるを得ない、という身も蓋もない結論になってしまう。
しかも彼らはほとんどの場合、そうした状況を人に相談・共有できる環境を持たないか、あるいは自分自身をその状況に追い込んでしまっている。
「クロサギ」にも丹念にそうした過程が描かれているが、「詐欺」には、そうした技術やコンテンツだけでなく、「カモの心理の推移フロー」の把握があって、巧みに、また必中で追い落すことができる構造へと造り込んである。
「引っ掛かる、または引っかかったあと」で気付く(=「カモ」状態になっている人)のは不可能、と自分は見ている。
余裕があるうちに、その知識やテクニックを見つけて磨いておく・関係先を準備しておくか、引っ掛かりそうな人には、念入りにレクチャーしたりこちらから注意しておく、という対策しかないのではなかろうか。
これはだから、「マネーリテラシ―」というのは、実際は関係ない、というのが重大なポイントとなる。
「カモ」というのは、「情報を見抜く力」が備わってない以上、どういう情報や知識を入れようが、引っ掛かるものは引っ掛かる(「一度引っ掛かったカモは、何度も詐欺に引っ掛かる」という法則も観察されている)のだ。
「マネーリテラシ―」以前に、もっと強くこの点は注意されるべきではないだろうか。